シリコンアイランドとは—九州が世界の半導体拠点になるまで

かつて大きな世界シェアを占めていた「シリコンアイランド」と呼ばれた九州の半導体産業。その栄光が今、JASM(TSMC熊本)の誘致を契機に再び蘇ろうとしています。
本稿では、そのシリコンアイランド九州の可能性と課題について解説します。
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シリコンアイランドとは

1980年代後半、日本の半導体産業は世界シェア50%を占め、圧倒的な競争力を誇っていました。なかでも九州は「シリコンアイランド」と称され、国内生産の中心地として繁栄しました。
しかしその後、日本のシェアは低下を続け、近年では10%を下回る水準にまで落ち込みました。これは日本メーカーの売上が減少したというよりも、2024年に6,305億米ドル規模へと急成長した世界の半導体市場に生産が追いつけなかったことが主な原因です。
2018年の米中半導体摩擦を契機に、半導体は単なる産業製品ではなく「戦略物資」として認識されるようになりました。経済安全保障の観点から、各国が支援政策を相次いで打ち出し、世界的に半導体産業の振興や研究開発競争が激化しています。
日本でも2021年6月に「半導体・デジタル産業戦略」を策定し、TSMCを熊本へ誘致することに成功しました。
関連記事:なぜ熊本に半導体工場が集積するのか ― 豊富な地下水と持続可能性の課題
日本の半導体政策とシリコンアイランド九州の位置づけ

半導体・デジタル産業戦略
2023年6月に公表された改訂版「半導体・デジタル産業戦略」では、日本の半導体産業の復活に向け、以下の3ステップで推進する基本戦略が示されました。
Step 1:IoT用半導体生産基盤等の生産ポートフォリオの緊急強化
Step 2:日米連携強化による次世代半導体技術の習得・国内での確立
Step 3:グローバル連携強化による光電融合技術など将来技術の実現・実装時期の前倒し
熊本へのJASM(TSMC熊本)誘致はStep 1に、北海道で進むRapidusの製造拠点設置はStep 2に位置づけられています。
これら一連の戦略により、2020年時点で5兆円規模だった国内半導体企業の売上を、2030年には15兆円以上へと増大させることを目指しています。
熊本には、CMOS画像センサで世界シェア約50%を占めるソニーセミコンダクタマニュファクチャリングや、車載用マイコンで約30%の世界シェアを持つルネサスエレクトロニクスの主力工場が立地しています。
さらに、宮崎ではロームがSiCパワー半導体の製造拠点整備を進めており、こうした企業群の集積により、九州・熊本は産業用先端半導体の世界的な生産拠点としての素地が整っていると言えます。
そこにJASM(TSMC熊本)が進出したことで、九州・熊本の役割がさらに強化されることが期待されます。
くまもとサイエンスパーク推進ビジョン

2025年3月に策定された「くまもとサイエンスパーク推進ビジョン」は、台湾のサイエンスパークを参考に、経済安全保障への貢献と地方創生の成功モデルの実現を目指しています。
その基本理念は「分散型サイエンスパーク」です。セミコンテクノパークを中心に、周辺地域で必要な機能を複数の拠点で分担するという構想です。
TSMC本社が立地することで知られる台湾の新竹サイエンスパークは、大学の敷地も含めると1,000ヘクタールを超える広大なエリアを有しています。
一方、こうした大規模な土地を一体的に確保することが難しい日本において、「分散型」という形態はやむを得ない選択であると同時に、地域全体に経済効果を波及させるという点で戦略的な選択とも言えます。
くまもとサイエンスパーク推進ビジョンの「5本の矢」
くまもとサイエンスパーク推進ビジョンでは「5本の矢」として、以下を掲げています。
- 半導体関連企業や半導体を使うユーザー企業の集積
- 新たな産学官連携拠点「イノベーション創発エリア」の整備
- 「パークマネジメント法人」の設立
- 半導体人材育成に特化した大学・研究機関の誘致
- 学生・企業・研究者が共同で利用できる設備の整備
この中で、特に重要なのが①の「半導体のユーザー企業の集積」を謳っている点です。
それは、半導体関連産業の中で最も大きな付加価値を提供し収益を上げているのは、GAFAMに代表されるような「半導体を使ってビジネスを展開している企業」であるためです。
新生シリコンアイランド九州グランドデザインとの連携
九州地域全体の半導体関連産業振興に向けては、九州経済連合会が事務局となって取りまとめた「新生シリコンアイランド九州グランドデザイン」が、2024年6月の第45回九州地域戦略会議において承認されています。
「新生シリコンアイランド九州グランドデザイン」のビジョンは、「世界有数の半導体ビジネスエコシステムを擁し、国内外との協業により、“半導体の生産と応用”および“トップ人材をはじめとする人材の輩出”をリードし続ける『イノベーション・マルチハブ』」とされています。
「イノベーション・マルチハブ」とは、九州全体が「産業競争力の源泉エリア」となるために、各地域の産業集積等を勘案しながら、ビジネスエコシステムの中核となる企業の拠点や、大学・研究機関が集積する産学連携拠点を多極的に整備し連携するというものです。
つまり、新生シリコンアイランド九州のグランドデザインにおいても、分散型のイノベーション・ハブ形成が構想されており、くまもとサイエンスパーク推進ビジョンの「分散型サイエンスパーク」と通ずるところがあります。
TSMC熊本進出による経済波及効果

TSMCが熊本への工場進出を決定して以来、積極的に投資が行なわれてきました。
このような投資に伴う経済波及効果の推計は、九州フィナンシャル・グループ(KFG)、日本政策投資銀行、九州経済調査会など複数の機関が行なっています。
中でも九州経済調査協会の推計は「九州全域の半導体関連産業への投資」に焦点を当てています。
その九州経済調査協会によると、2021年1月から2024年11月までに報道された九州地域の半導体関連設備投資は201件に上り、その投資総額は6.2兆円に達しています。
これらの投資およびそれに伴う生産活動により、2021年から2030年までの10年間で23.0兆円もの経済波及効果が見込まれています。
関連記事:TSMC熊本進出が企業投資と地域産業に与える影響〜11.2兆円規模の経済波及効果〜
産業部門別の経済波及効果
産業部門別に見ると、最も大きな経済波及効果が見込まれるのは、予想通り半導体サプライチェーン関連です。電気機械では6.5兆円の波及効果のうち約90%が半導体関連であり、一般機械で約4.3兆円、非鉄金属で約0.7兆円、化学製品で約0.2兆円、窯業・土石製品で約0.1兆円など、合計11.1兆円に達し、全体の48%を占めています。
次に大きいのはサービス業で、約2.5兆円もの経済効果が見込まれており、消費活動の喚起を通じた経済活動の活性化につながると期待されています。
また、建設業で約2.1兆円、不動産業で約1兆円と、設備投資時に直接効果が生じる部門も大きな恩恵を受けます。
さらに、商業部門でも1.2兆円、運輸業で0.5兆円、電気・ガス・水道業で0.7兆円など、製造業の活動に付随する関連部門にも相当規模の経済波及効果が及ぶ見通しです。
県別の経済波及効果
県別に見ると、JASM(TSMC熊本)が立地する熊本県が13.4兆円で全体の58%を占め、最も大きな経済波及効果を示しています。
次いで長崎県が2.6兆円で11%、福岡県が2.1兆円で9.2%、佐賀県が1.5兆円で6.3%、宮崎県が1.1兆円で4.8%、鹿児島県が0.9兆円で4.0%と続きます。一方で、大分県は0.7兆円で3.1%と相対的に小規模です。
これは、経済波及効果が各県における投資案件の規模に強く相関しているためと考えられます。
シリコンアイランド九州が直面する課題

地場企業への影響
JASM(TSMC熊本)の進出により、23兆円という華々しい経済波及効果の数字が見込まれる一方で、地場企業は厳しい現実に直面しています。
多くの地場企業では慢性的な人手不足が続いており、大手企業による初任給の引き上げも重なって、求人を出しても新規採用が全くできないという声が聞かれます。さらに、TSMCのサプライチェーンに参入したくても、各種要件が厳しく、実際に仕事を取れているのは数社のみとも言われています。
こうした状況は、経済波及効果の推計値と地場企業の実感との間に大きな隔たりがあることを浮き彫りにしています。数字上は大きな経済効果が見込まれていても、それが地域の中小企業に実際に還元されるまでには、なお多くの課題と障壁が残されているのです。
TSMCの「Copy Exactly」という高い壁
世界最強のファウンドリビジネスを展開するTSMCでは、歩留まりを維持するためにも、各世代の工場をマザー工場と全く同じ設備、材料、プロセスで稼働させること、いわゆる「Copy Exactly」が必須とされています。
台湾にはTSMCを支えるサプライチェーン企業が約2,000社あると言われていますが、熊本のJASM(TSMC熊本)での半導体生産もこれらの実績ある台湾のサプライチェーン企業に依存せざるを得ません。実際に約100社が既に熊本に進出してきています。
つまり、JASM(TSMC熊本)での半導体生産は、当面はこれら台湾からの進出企業が支える体制が前提であり、ここへの地場企業の参入は極めて難しいのが現状です。
しかし、経済波及効果の推計のように、TSMCの進出を契機とする経済波及効果の約半分が半導体関連の産業部門に生じることから、地場企業が半導体サプライチェーンにしっかり参入していく必要があります。
地場企業には、まずはJASM(TSMC熊本)の要求に応えられるだけの技術力を身に付けつつ、実績のあるTSMCのサプライチェーン企業との取引などを通じて実績と信頼関係を構築し、一歩一歩サプライチェーンへの参入を果たしていく必要があると考えられます。
シリコンアイランド九州の未来展望

世界の社会・経済情勢は大きく変化しつつあります。その中でシリコンアイランド九州に求められるのは、旧来の事業やビジネスの成功体験にとらわれることなく、世界の人々に求められるような付加価値を提供する新たなビジネスモデルを創出することです。
世界に求められる新しい価値を提供し、日本が「世界に必要とされる国」として存続し続けるために、シリコンアイランド九州は単なる製造拠点ではなく、イノベーションを生み出し続ける真のビジネスエコシステムとして進化していかなければなりません。
結論

JASM(TSMC熊本)の誘致を契機として、九州は再び「シリコンアイランド」としての存在感を高めつつあります。
今、重要なのは単に半導体を製造するだけではなく、半導体を活用した新しいビジネスやイノベーションを創出し続ける仕組みを構築することです。
製造、研究開発、人材育成、そしてビジネスモデルの創出。これらが結びついたとき、シリコンアイランド九州は真の意味で世界になくてはならない存在となるでしょう。
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